#長堀通り

西詰めは伯楽橋西詰め、東詰めは今里交差点である。西詰の伯楽橋は木津川にかかる橋であり、橋の西は松島公園や松島新地、橋の東は土佐稲荷神社などがある。長堀通りは、東横堀川から木津川までの長堀川という運河の跡であり、1971年に埋めたてが終わり、この間の幅員は50mとなった。

 

f:id:walk-reflection:20191029110512p:plain

画像

画像

画像

東詰の今里交差点は南北に今里筋、東西に千日前通りと長堀通りが交差する5叉路である。かつて信号のないロータリーとして有名であり、今でも今里ロータリーと呼ぶ人がある。ロータリーは昭和9年から昭和30年まで使われた。交通量の増加により昭和30年に信号が設置された。

画像

画像

画像

長堀通りと南北の筋からなる交差点の名称には、四つ橋、心斎橋、松屋町、玉造、今里など南北の筋の名称となっている例が多い。長堀通りの交差点に南北の筋の名称が集中するのは不思議なことである。大阪は東西軸が中心の町であって、その中でも現在の長堀通りが中心であったということであろうか。

長堀通りは長堀川のすぐ北の末吉橋通りと一体になった通りであり、末吉橋通りには市電も走っていた。長堀川の歴史を示す写真を示す。[ 「摂津名所図絵』から長堀石濱、四つ橋のダイヤモンドクロス(市電の平面交差)と長堀川、昭和初期の四つ橋交差点での砂ぼこり対策の散水車、歩道橋になった心斎橋である。

画像

画像

画像

画像

長堀川西横堀川の交差点によって、地域名が異なる。北東は船場、北西は下船場、南東は島之内、南西は堀江となる。長堀通りの地下には、クリスタ長堀という地下街が作られた。商店街だけでなくさらにその下に複数階の地下駐車場も設置され、開発当時は日本一とも言われる面積であった。

長堀通りの東部には、暗越奈良街道が縫うように平行する。高麗橋を起点とし、長堀通りからは東へと伸びる。歴史的にも大切にされ、各地で街道表示と道路の色分けが行われている。玉造駅東の玉津橋近辺では長堀通りから少し東に離れるが、今里交差点付近では、通りに平行するようになる。

画像

画像

画像