船場の通り名唄・北船場

 #船場の通り名唄・北船場 大阪の中心部の船場にも、京都と同じく通りや筋を覚えるための歌がありました。船場とは四つの水路で囲われた地域です。北は土佐堀川、南は長堀川(現在の長堀通)、東は東横堀川、西は西横堀川です。長堀から南の道頓堀までの地域が島之内となります。
 現代の大阪は南北の筋が中心ですが、昔は東西の通りの方が重きを置かれていました。今は使われなくなった通り名もあります。地図は『大阪人』2012年5月号増刊の付録、中央区『わがまち、ガイドナビ』からです。
 地名唄は「浜・梶木、今は浮世に高伏道、平野・淡路に瓦・備後、安土・本町・米に唐(米屋、唐物)、久太久太に、二久宝、博労・順慶・安堂・塩にナーガ堀」というものです。節は伝わっていないと言われてますが、大阪弁のイントネーションで読むと、自然と節になると思います。浜は北浜通(土佐堀通り)、梶木という名称は今はなくなり内北浜通、今は今橋、浮世はその南にある浮世小路で、やはり使われなくなっています。高伏道は高麗橋、伏見町、道修町です。伏見町は堺筋より東の道路幅は少し狭くなっています。

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文久3(1863)年の船場の北東部です。

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それと重なる現代の様子です。

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道修町通板屋橋筋の角にあるお店です。